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キジが背負うあのウロコのような模様に惹かれる。青海波を思わせるそのパターンはどちらも日本の美しさを象徴的に示す一翼を担っている。 しかしそれだけではない。両者の合流している根本は、日本的な美の条件と先達が見通した平面としての美術を示すとともに、私たちの表現手法、3DCGを用いて"Japan beauty "を表現すべき理由の第一の要因となりうべきものだった。 村上隆は、日本の美術に見られる平面の構成と視線の走査に「スーパーフラット」を見出し、東浩紀はインターネットが普及した世界のありかたとして2DSのディスプレイ的に広がる世界を「データベース的」と表現した。ここで3DCGという、あまつさえその立体性を2Dの画面(ディスプレイ)において強調するわたしたちの表現手法はどう扱われるべきか? キジの背中に宿るウロコ、そして平面充填が原理的に可能でないにもかかわらず拡大を続けようとする青海波の平面性に対して私たちが持ちうるのは、Houdini,Redshiftが制作の面で持ちうるプログラミング的要素としての「どこまでも」の平面性であった。 ここで論理の飛躍との誹りを覚悟の上で関係の単なる逆転は、その関係の主述を入れ替えただけであるという論理を援用してみよう。構造的な差別に対して、否定的な「述」に置かれているものを「主」に置き換えるだけでは、論理を生み出す構造そのものは温存されている、ということである。 ここでは、2次元的なプログラミング的な規定による3DCGとしての描写が「匂わされている」。もしくは背後に確実に存在している。 私たちの表現の上では、3DCGでの表現にどこまでもプログラミング的要素としての2次元性が付きまとう。 その私たちの立場の対称の図として十二単を設定し、私たちの美学を描こうとした。 これもまた日本的美を象徴とする対象であるが、身体という立体を相当な重量を持った布という平面で覆い隠すとこによって生まれる美であることに注目した。 キジの背のウロコの美しさは、それを平面的に見ようとすることにより、現前している立体を等閑視しつつ、平面から想像される立体性を嗜好している倒錯的な美ではないだろうか。 そうした、美の鑑賞のために抑圧されている何ものかに意識を忘れずにいながら、平面と立体の緊張感によって生まれる美に対してバランスを取ることこそが、自分たちの表現について、いまの弊スタジオのとることのできる、少なくとも(不十分であることははっきり認めつつも)最低限倫理的でありつつも日本の美を記述できる方法ではないかと考えるのである。
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