はアルフォンス・ミュシャによって1910年から1928年の間に制作された壁画連作〈スラヴ叙事詩〉のうち第十場面にあたる作品で、1924年に制作された。
〈スラヴ叙事詩〉 15世紀以来チェコはオーストリア・ハンガリー二重帝国の支配下にあり、民族の自由を失っていた。19世紀に入ってスメタナの『モルダウ』やパラツキーの『ボヘミア史』など、自国の文化や歴史が様々な分野で表現されるようになった。ミュシャはパリで名を挙げた画家として、その才能を祖国の民族意識高揚のために生かしたいと熱望するようになった。
〈スラヴ叙事詩〉の構想は1900年のパリ万博を契機として始まり、1910年に着手された。しかし、壁画が完成した1928年には既にチェコは「チェコスロヴァキア」として独立を達成しており、また美術の流行が変化していたこともあり、建国10周年の記念イベントとして開かれた完成披露展覧会も大きな注目を浴びることはなく終わった。ミュシャが再び注目を浴びるのはチェコとスロバキアの分離後を待たねばならない。
