本作は架空の配信の視聴者を同じ部屋に配置し、その視聴者間のコミュニケーションの様子を鑑賞するインスタレーションである。
本来配信は自室で一人で見るものかもしれないが、リアルタイムで寄せられるコメントは、同じ時間やサイバースペースを共有している他の視聴者の存在を示す。
また、配信ではコミュニケーションの方向も様々であり、他の視聴者のコメントに対しての賛同や批判であったり、内容とは関係ないコメントで溢れることも珍しくない。
視聴者間のコミュニケーションが行われている空間に入り、様々な要素から配信と人、メディアと人、人と人の関係性について考えるために本作は設計された。
本作は和室全体が一つの作品空間である。和室には机や布団の上に同一の配信を視聴中のデバイスが置いてある。各デバイスはそれぞれ別の視聴者がログインしており、コメントを打つキーボード音/タイプ音を放つ。また、プロジェクターからは、視聴者全員のコメントが集約され随時更新され続けている。
しかし、視聴者の身体はこの空間に無い。
現実の配信では、配信者を中心としたコミュニティを視聴者が形成し、その中で内輪ノリや空気を読むと言ったコミュニケーションがとられている。そして視聴者は寄せられるコメント以上に何かを感じる。お互いが弱くつながり合った「居場所」である配信空間は、他のメディアで見られないものである。
顔も知らない他人とコミュニケーションをとるための手段や機会が増えた現代。人は他人から何かを感じ、他人へ何かを感じさせている。便利なインターネットは、様々な感情の種である。
それでも人はメディアを通してつながる。
配信という新しいコミュニケーションモデルを用いて、人がメディアを通してつながる意味を考えることができるのではないか。
そういった思いで本作を制作した。