在日韓国・朝鮮人社会が、北朝鮮による弾道ミサイル発射に揺れている。在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(総連)の和解は、2カ月もたたずに撤回された。日本政府は北朝鮮と在日を結んできた貨客船「万景峰(マンギョンボン)号」の入港を禁止するなどの制裁を発動。朝鮮学校の子どもたちへの心ない嫌がらせも相次いでいる。古い世代と若い世代の在日朝鮮人に思いを聞いた。(吉野太一郎)
○統一への流れ、不変 和解進めた72歳元総連幹部
全国に先駆けて総連と民団の共同行事を進めた立役者にとって、5月の中央組織の和解は長く待ちわびた出来事だった。それはつかの間の夢だったのか――。
総連大阪府本部の委員長を02年まで務めた呉秀珍(オスジン)さん(72)=大阪市東成区=は今も、在日朝鮮人の集会などを訪ね歩く日々だ。ミサイル発射後、行く先々で在日の仲間から「なんでテポドン撃つんや。困るのはわしらやないか」と言われたという。「そんな日本社会の視線の中で生きなければならないのが、今の在日なんだ」と話す。
済州島から働きにきた両親のもと、滋賀県に生まれた。旧日本軍の少年航空兵にあこがれたが、12歳で終戦。初めて「自分には祖国があったんだ」と気づいた。高校生の時、朝鮮戦争が起こった。「社会主義の北朝鮮が希望の星だった。荒廃した祖国を何としても統一しなければ」と、高校卒業後、小さな縫製工場を営みながら、総連の活動にかかわるようになった。
73年の金大中氏拉致事件、74年の朴正熙大統領狙撃事件。朝鮮半島が揺れ動くたび、在日の街・生野では総連と民団が互いに激しいデモを仕掛けた。「そんな敵同士が、地元では同じ長屋に住んでいたりする。組織はなぜいがみ合うのかと思ってきた」
大阪のトップに就任し、00年の南北首脳会談後は、積極的に和解に乗り出した。01年3月には民団との合同イベント「大阪ハナ・マトゥリ」を開催、約3万人を集めた。これを機に、交流は全国に広がった。一方で総連中央本部の幹部からは「平壌より先んじるな」との忠告もあった。
02年9月に表面化した拉致問題は、呉さんにとっても衝撃だった。直後、大阪市内で開かれた行事。日本人の来賓もいる前で、「拉致はあってはならないこと」と言わざるを得なかった。その後、呉さんは個人的な問責を受けて大阪府本部委員長職を解任された。
組織への愛着は残る。「民族教育など、在日の生活を担う重要性は変わらない。北朝鮮憎悪の雰囲気がつくられている今だからこそ」。一方で、「本国と一緒に社会主義万歳を叫んでも、人はついてこない」とも思う。
肩書がない今、呉さんの活動範囲は広がった。在日社会の和解・統一への流れは一時的に逆流したが、大きな流れは変わるまい、変えてはならない。そう信じている。
○「祖国」本当の顔は 3世の17歳、万景峰号で足止め
初めての海外旅行は、友達と過ごした楽しい思い出と、嫌な後味の混ざったものになった。
7月5日午前、新潟西港に入港しようとしていた「万景峰号」は突然、海上での待機を命じられた。乗船していた大阪朝鮮高級学校(大阪府東大阪市)の生徒約170人は、北朝鮮へ約2週間の修学旅行を終えて帰る途中だった。
旅行最後の夜。在日3世の女子生徒(17)は、友人と船室で朝までおしゃべりしていた。午前5時ごろ、カーテンを開けると、何隻かの巡視船が取り巻いていた。
「ミサイル撃ったらしいで」。日本のテレビを見た男子の言葉で、船内がざわついた。教師が「親御さんが心配しているから」と、預かっていた携帯電話を生徒に返した。「体は大丈夫か」。張りつめた父親の声が意外だった。
一体いつ帰れるのかなあ。先生や友達とトランプに興じているうちに、船は動き出した。「人道的配慮」から乗客の上陸が許可されたのだ。行きの手荷物検査はセンサーに通すだけだったのに、帰りは税関職員が一人一人の着替えまで全部引っ張り出した。
実は北朝鮮に出発する前は、「みんな軍隊みたいな国」と思っていた。行ってみて、イメージは少し変わった。バスガイドの男性や訪問した中学校の生徒ら、行く先々で会った人は意外に明るくて親しみがあったからだ。
それだけに、よりによって最後の最後にミサイル発射なんて、と思った。「祖国」と言われると、やっぱりピンとこない。
◇
学校に中傷メールが届いた。生徒が殴られてけがをした――。朝鮮学校の教職員団体は、発射後から26日までに全国で121件の暴行・脅迫があったと明らかにした。
兵庫県宝塚市に住む在日3世の女性(25)は、自分が神戸の朝鮮学校に通っていた頃のことが頭をよぎった。94年の北朝鮮の核開発疑惑をきっかけに、各地で児童・生徒へのいやがらせが起こり、学校の指示で制服のチマ・チョゴリ着用をやめ、体操服で通った。
「いつも国際情勢にほんろうされ、敏感になってしまうのが在日。特殊な存在なんやなあ」
◆キーワード <在日韓国・朝鮮人> 日本に住む韓国・朝鮮籍者は昨年末現在で約59万9千人。都道府県別では大阪府が14万2112人と最も多い。旧植民地時代に日本に渡った朝鮮半島出身者とその子孫の「特別永住者」は04年末で約46万1千人。日本国籍を取得する人が増えるなど年々減少している。日本人との結婚も約9割に上り、日本社会への「同化」が進んでいるとされる。
【写真説明】呉秀珍さんは週2~3回、大阪・鶴橋の碁会所に通う。「いつまでも白黒に分かれて争ってちゃいけないんだが」=28日、大阪市天王寺区で、山崎虎之助撮影