注:
[*1]良い景色の事。
[*2]はるかに遠いさま(『広辞苑』)。
[*3]四男蘭陵王の兄である三男河間王孝琬は、生年については『資治通鑑《しじつがん》』の「卷158:高祖武皇帝十四大同七年(辛酉,公元五四一年)」に「東魏尚書令高澄尚靜帝妹馮翊長公主,生子孝琬,朝貴賀之」と、それを推測させる記述が有り、没年についても『資治通鑑』の「卷169:世祖文皇帝下天康元年(丙戌,公元五六六年)」に「上皇愈怒,折其兩脛而死」と死因が明記されている。つまり、河間王は享年二六程度と見なせる。この事実から推測すると、『北斉書』の記述によれば、武平四年(西暦五七三年)に死去したとされる蘭陵王の年齢は最高でも三三歳となる。
[*4]母方の親族。
主要参考文献:
李百薬撰『北斉書』(维基文库)
姚思廉撰『梁書』(维基文库)
司馬光著『資治通鑑』(维基文库)
川勝義雄著『魏晋南北朝』(講談社学術文庫、2003年)
宮崎市定著『中国史(上)』(岩波文庫、2015年)
宮崎市定著『中国史(下)』(岩波文庫、2015年)
参考ウェブサイト:
『魏晋南北ブログ |高孝琬と高長恭』
http://gishinnanboku.blog.fc2.com/blog-entry-1373.html
蘭陵王の年齢に関する一次資料の出典を割り出す道標《みちしるべ》として大いに参考にさせて頂いた。
画像使用元:
『【上海・シャンハイ】豫園・よえん・豫園商城 』
作者:RERE0204(ID:1670688 )【写真AC】
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