広い「つながり」と深い「つながり」に生かされた―スタイリスト小野塚雅之氏の「プロの振る舞い」

「人とのつながりが生命線」——フリーランスとして働く人びとであれば、誰もが一度はそう感じたことが、あるのではないだろうか。職場の上司、些細なきっかけで知り合った人、昔の知人。たまたまつながった縁が、その後の自分の人生に大きな影響を与えることがある。

スタイリストの小野塚雅之氏が仕事において最も大切にしているものは、「人と人とのつながり」だという。フリーランスという働き方において、人脈はたしかに生命線になる。しかし小野塚氏はそれ以上に、どんな人と出会い何を学ぶかが、仕事において特に重要だと語った。「人脈」ではなく「関わり合い」という文脈で語られる彼の仕事哲学を追う。

コーディネートだけがスタイリストの仕事じゃない

——はじめに、スタイリストという職業についてお伺いさせてください。小野塚さんは普段どのような流れでスタイリングをされていますか?

僕はブランドのカタログから雑誌、ドラマや映画まで、幅広いジャンルのスタイリングを請け負っています。例えば雑誌であれば、編集部が打ち出したいファッションの企画の打ち合わせをし、様々なブランドのリサーチから始めます。見通しが立ったらブランドにアポイントメントを入れて洋服を借り、集まった洋服や小物をコーディネートする。場合によってはスタイリストが現場をディレクションすることもありますが、基本は、編集部やディレクターにスタイリングをプレゼン、チェックしてもらい、そのまま通るときもあれば、修正が必要なときもあったりします。そうしたいくつもの下準備を経て、ようやく撮影が始まります。

——テーマに沿う企画力や現場での柔軟性も求められる仕事なんですね。特に印象深かったお仕事について伺えますか?

少し前ですが、雑誌『pen』の編集部と一緒に、Onitsuka TigerのPR動画 を作らせてもらったことですね。動画のテーマは「東京」。編集部で打ち合わせをしていく中、「虎ノ門ヒルズの透明なエレベーターを使ったら面白いんじゃないか」「田町にレインボーブリッジが見えるスポットあったよね」、「新宿の夜のネオンや、都庁付近の歩く歩道とかどう?」、みたいな話で盛り上がりました。普段中々、ロケハンに同行できる事は無いのですが、この時は、早めにスタイリングも組め、物がある状態でした。同行しながら足元の寄り写真など、僕が履いて撮れるものはその場で撮ったりしていました。本番前のロケハンに一緒に同行出来たことで、どのように撮るかなど細かい部分までイメージを膨らませることができました。服選びだけでなく、撮影スポットや世界観づくりが作品のクオリティに大きく影響するので、作る過程に一から関われたのはとてもありがたかったです。

——スタイリングにおいて特に意識した点を教えてください。

今回の動画は靴がメインのため、コーディネートはすべて靴に合わせて考えました。「東京っぽさ」とはなんだろうという所から考え、靴とスタイリングのシルエットやバランスなど合せていきました。スチール撮影ではなくムービーの撮影なので、「動き」が重要になると思い、その辺りも特に意識したと思います。 シャツをレイヤードしたスタイリングがあり、個人的にはそれが一番好きでした。そのコーディネートをどのシーンで使うかなど、「トータルで見てカッコイイ」を目指しつつ、あくまでも主役の靴を引き立てるのを第一に置きましたね。

たった数センチの差で、着こなしの美しさは決まる

——これまでさまざまなジャンルの現場を経験されたと伺いましたが、小野塚さんが仕事全体を通して大切にしていることを教えてください。

人間関係や人とのつながり、ですね。現場に行くと、その日初めて出会う人たちもたくさんいます。その人たちとつながると、彼らがそれぞれつながっている人たちともつながっていく。フリーランスの働き方は人とのつながりが次の仕事に直結することも多いです。僕が今スタイリストとして仕事ができているのも、専門学校時代にご縁をいただいたつながりがきっかけでした。

——具体的に、どのようなご縁だったのでしょうか。

高校卒業後、僕は地元新潟のファッション系専門学校にいました。そこで教鞭を執っていたスタイリストの先生と、僕の師匠の師匠である鈴木卓爾さんに親交があったんです。2年生の夏休みにインターンをしようと思いたち、そのときに先生から鈴木さんを通して紹介されたのが、僕の師匠である村上忠正さんです。

1〜2週間ほどインターンをさせてもらって、その後も年末に会いに行ったり、東京に出ようかという相談に乗ってもらったりしました。卒業後に東京に出ることは決めていたのですが、進路がうまくイメージできていなかったんです。アシスタントをさせてほしい、とお願いし続けていたら、卒業式の2日前に連絡が来て、その年の春から本格的に村上さんのもとでアシスタントを始めました。

——村上師匠のもとでは、どのようなことを学んだのですか?

本当に「すべて」ですね。当時僕は二十歳手前くらいで、仕事のことも、東京という土地のことも何も知らない。まったくのゼロからのスタートでした。そんな僕に、服飾に関するさまざまな知識や、社会人として然るべきコミュニケーションの取り方、プロとしてあるべき姿など、村上さんは本当にすべてを教えてくれました。

——学んだことの中で、特に印象に残っていることは何でしょうか?

本当にたくさんあるのですが、「着こなしの美しさは、細部に宿る」ことです。 例えば、トップスの丈感やパンツの裾の長さなど、たった数センチの差で着こなしに差が出たり、素材の合わせによって表情が変わったり。 師匠に出会うまでは、好きなブランドのアイテムだけ着ていればそれでOKみたいなところがあったのですが、それがガラッと変わったんです。ただのオシャレ好きから、服そのものが好きになっていきました。

——プロとして「服」に向き合う意識が生まれていったのですね。ゼロからのスタートで独立に至るまでは、どれくらいかかったのでしょうか?

師匠に教わっていたのは3年ほどですね。最初の1年くらいは本当に大変な時期でした。あの頃はどうやって生きてたんだろう……(笑)。上京したてで知り合いもいないのに、当時のSNSなんかを見ると地元の奴らは変わらず楽しそうに集まってるのを見て、それもつらかったですね。

でも、「やめよう」って思ったことは一度もありませんでした。「2年で独立していい」と師匠に言われており、この2年耐えて修行を積めば、スタイリストとして好きなことでお金を稼げると分かっていたので。ほんとは独立した後の方が大変な事も知らずに…笑

そして独立した結果、あの頃の経験や仕事先の方々とのつながりがあって今があると身にしみて感じています。専門時代のあのとき、師匠に出会えていなかったら、そして、アシスタント時代に出会った人たちがいなかったら、今の僕は絶対になかった。人とのつながりって仕事において本当に大切だと思っているんです。

受け取る側から、自分が伝えてつなぐ側へ

——「人間関係や人とのつながりを大切にする」というのは、そういう経緯があったからなんですね。現場で人と関わる上で、どのようなことを意識していますか?

コミュニケーションを活発に取るというのは大前提として、提案力が肝だなと思います。色んなところでインプットして、それをアウトプットしていく。常にアンテナは張っていないとですね。現場で出た意見から提案をして、その提案からさらに活発に意見が生まれるような状態が理想だと思います。皆でより良いものを作っていくためには、場を活性化させるアイデアがどれだけできるかが大事だと思います。

あとは、雑談です。大したことのない話でも、場の空気やスタッフ全員の気持ちを和らげてくれるので、雑談は積極的にするようにしています。最近は愛娘との話を現場でよく惚気けてます(笑)

——全体の空気を良くするコミュニケーションの取り方も、村上師匠のもとで教わったからこそ身についたんですね。今度は小野塚さんが、教わったことを誰かにつないでいくのでしょうか。

最近僕にもアシスタントが付いたので、その子に僕が師匠から学んだ事を、色々と伝えていけたらなと思います。挨拶をするときは帽子を取るとか、目を見て話すとか、礼儀や言葉遣い、気遣い。もちろんコミュニケーションも含めて、そういう基本的なことは自然にできるようになってくれたらなと思います。

これもアシスタント時代に学んだ事ですが、ファッションや洋服に関する勉強や作業的な事はスタイリストのアシスタントの仕事をしていれば自然と知識が身につくし、学んでいけると思います。しかしファッションは常に動いていますし、極論を言えば正解も無い。だからこそ、自分のアンテナは常に張って色んな事をインプットしていかないといけないと思うんです。その変化に対応できるようにコミュニケーションやプロとしての基礎は初めのうちにしっかり身につけておくべきだと思います。

——自身がアシスタントを受け入れるという形で、また新しいつながりのステージへと進んでいくのですね。

そうですね。その子も僕と同じ専門学校を卒業したばかりで、境遇がすごく似ているんです。自分がスタイリストとしてある程度の経験を積んだこのタイミングで、一度初心に変えるべき良いタイミングだと思っております。あの頃に教えてもらった様々なことをもう一回掘り返して、プロとして、スタイリストとして、自分自身も、より成長出来たらと思います。

Text: Shika Fujisaka / Photograph: Shunsuke Imai

Share