《大ボヘミアにおけるスラヴ式典礼の導入》はアルフォンス・ミュシャによって1910〜1928年の間に制作された壁画連作〈スラヴ叙事詩〉のうち第三場面にあたる作品でこの場面は1912年に制作された。
8世紀からドイツの伝道団がキリスト教を布教し始め、キリスト教国となったモラヴィア王国ではスラヴ語の衰退を憂えたモラヴィア大公がキュリロスとメトディオスに命じてスラヴ語に聖書を翻訳させ、スラヴの文化を守った。彼らは今でもチェコをはじめとするスラヴ諸国において重要な聖人である。モラヴィアからの求めに応じてビザンツ帝国から派遣された修道士、キュリロスとメトディオスによる翻訳が開始されたが、反発も多くメトディオスはローマへ行き教皇の許可を得なければならなかった。
画面下部ではメトディオスが教皇から聖書翻訳の許可をとりつけローマから帰国したところが描かれている。中央ではローマの特使から少し離れたところにメトディオスが立っていて、その少し上には導入を喜んで抱き合う4名を抱えるようにキュリロスが立つ。画面上部ではこの時代のチェコの偉大な王や指導者たちの姿が空中に描かれ、上空右手には導入に積極的だったロシアとブルガリアの国王夫妻、中央には前王ラスチスラフと東方教会の司祭が描かれる。
画面手前左手の青年が持つ輪はスラヴ人の団結を象徴しています。