Facebook Bulharský car Simeon (The Bulgarian Tsar Simeon), (1923)
Logo

Bulharský car Simeon (The Bulgarian Tsar Simeon), (1923)

クレジット
Bulharský car Simeon (The Bulgarian Tsar Simeon), (1923)-1
シェア
制作ノート
ブルガリア皇帝シメオン — スラヴ文学の明けの明星

アルフォンス・ミュシャによって1910〜1928年の間に制作された壁画連作〈スラヴ叙事詩〉のうち第四場面にあたる作品で、1923年に制作された。

ブルガリア帝国の皇帝シメオン1世は一時期東ローマ帝国を圧倒するほどの軍事力を持ち「ブルガリア人とローマ人の皇帝」を称することもありました。その治世は帝国の繁栄の時代でした。ブルガリアは文化の中心地ともなり、ここには文人、学者、司祭に囲まれた皇帝が描かれていて、シメオン1世の高い教養や、彼の宮廷の豊かさをミュシャは描いています。

 シメオン1世(863頃-927)はチェコではなくブルガリアの皇帝ですが、この作品は「スラヴ叙事詩」の「大モラヴィア国のスラヴ語礼拝式導入」からつながり、さらに「聖アトス山」にもかかわるスラヴ文化全体の重要なテーマです。大モラヴィア国ではメトジェイが亡くなった後、ドイツ系の司祭に替わられてメトジェイの信奉者たちは追放されその多くがシメオンの治めるブルガリアに逃れてきました。

 ブルガリア皇帝シメオン1世は彼らを保護し、そこで彼らは伝道を続けられたためブルガリアはスラヴ語の教育と文学の中心となり、修道院生活の経験もある知識人のシメオン皇帝の下でスラヴ文学のコレクションが築かれ科学も花を開かせました。実際に彼は文化面で偉大な功績を残しており、集めたスラヴ文学の精華はギリシア正教会の聖地アトス山にあるいくつかの修道院に伝えられその後のスラヴ文化発展に寄与しています。

シェア