“大人になるのは 楽しくないけど…♪
それでも 僕らは 歩いてゆこう
楽しい世界を 僕らが つくれば
みんな 気づくはず 歩いてゆこう”
軽快なメロディーと意味深げな歌詞で始まるアニメ『キャラ丸くんとドク丸くん』。
この自主制作作品を手がけたのは、アニメ制作会社エクラアニマル。1982年、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』のアニメ制作を手がけるシンエイ動画から独立したメンバーによって立ち上げられた。(旧・あにまる屋)
同社は『怪物くん』など数々のアニメの演出・原画・動画を手がけてきた一方、アニメの自主制作を続けている。西東京市にある制作スタジオに伺い、映画『ドラえもん のび太の恐竜』の作画監督も務めた同社所属のアニメーター本多敏行氏に、その理由と、自主制作に込める想いを伺った。
エクラアニマルが自主制作を始めたのは1990年代初期。もともと「作画」の工程のみを請け負う制作会社として出発したが、いつの頃からか「自主制作作品をつくりたい」と考えてきたという。そのきっかけは「アニメは社会の役に立っているだろうか?」という問いからだった。
「当時、少女の誘拐事件などがニュースになると、『犯人はアニメ好き』などと報道されるていました。ニュースに心を痛める一方、自然と私たちは『アニメは人にどのような影響を与えるだろうか』と考えるようになったんです。その疑問とアニメを通して向き合うためにはじめたのが、自主制作でした」
創業から時間も経ち、事業も軌道に乗り始め、作画以外の工程も担える体制も整っていった。初めての自主制作を検討するなかで決まったのは、「多くの保育園や幼稚園に置かれている絵本」のアニメ化という方向だ。候補に挙がったのは、日本の伝統玩具をモチーフにした作品。出版元と原作者に直接交渉を行い、アニメ化が実現した。
「はじめはテレビでの放映を想定し、テレビ局に企画提案にいったんです。でも、当時アニメを流してくれるテレビ局は見つからなかった。『企画なんて積み上げたら富士山くらいあるからね』と冗談を言われたこともありました。そこで、無料での自主上映(現在は休止中)を行うことにしたんです」
プロジェクターなどの機材を用意し、西東京市内の保育園・幼稚園で自主上映を始めた。評判が広がり、埼玉や群馬、福井、大阪、名古屋、と長崎と、全国まで足を運ぶようになったという。当初は「子どもたちはテレビで人気のアニメでないと、見てくれないのではないか」と考えていた。しかし結果は、多くの子どもたちに受け入れられるようになる。
「子どもたちは、喜んで上映を見てくれました。その理由は『その場にいる人が見せてくれるから』ではないかと思ったんです。映像は、短くても15分程度。よく上映前に保育士さんは手遊びを見せるんですよ。その動きを見ると、子どもたちに集中力が生まれ、映像をみる態勢になるのです。
その姿を参考に、私たちも途中からは影絵や着ぐるみなども用いつつ、自主上映を行うようになりました。ライブで行ったり、人が直接届けたりすることで、子どもたちはより喜んでくれたんです」
エクラアニマルが、キャラクター・ストーリー制作から手がけた自主制作作品がある。『キャラ丸くんとドク丸くん』だ。主人公は「拳を使わず、社会貢献する」二人のヒーロー。
アニメの冒頭は、絵を描くのが好きな小坊主が、お寺の壁に落書きをしてしまい、和尚さんに怒られるシーンから始まる。反省のためにと、小坊主が納屋に入れられてしまったところ、目の前に観音様が現れる。そしてキャラ丸くん(写真左)とドク丸くん(写真右)が、観音様のこんなメッセージとともに、小坊主の頭の中から飛び出してくるのだ。
「お前の中には二つの心があります。一つは赤でもう一つは緑です。
二つはくっついたり離れたりしながら、旅を続けるのです。
二つが戻った時には、もっと立派な絵が描けるようになるでしょう。
その時まで、修行を続けなさい」
二人は人間の中にある二つの心を表し、片方が「いいこと」をし、片方が「イタズラ」をすることでストーリーが展開する。両者のおこないのうちどちらかを「善」、どちらかを「悪」と設定するのではなく、視聴者が考える余白を与えることで「正義とは何か」を問いかける作品だ。
加えてこの作品には“ヒーロー像”への疑問が込められている。子ども向けのアニメのヒーローには、他の星や宇宙、どこか遠くからきたものが多く、攻撃によって正義が悪を倒すパターンが多いと、本多氏は感じてきたという。「本当にそれでいいのだろうか?」そんな疑問を元に、ストーリーのコンセプトが決まっていった。
「子どもって、たとえば『ヒーローがパンチで、悪者をやっつける』みたいなシーンを見た時、それをそのまま現実の“善”として理解してしまう側面があると考えています。ある子どもが何か悪いことをした時、別の子が『パーンチ!』といって友達に手を出してしまう場面を見かけたことがありました。そうか、子どもってヒーローの真似をするのかと。
加えて、現実で問題を解決するのはスーパーヒーローではなく、自分自身ですよね。
だから、このアニメでは外からきたヒーローが問題を解決してくれるのではなく、等身大の『人間・子ども自身』が主役となり、攻撃以外の手段で解決することを学んでほしいという想いを込めました」
長年、アニメや子どもに携わりながら社会を生きる中で、“疑問”は次々と生まれてきた。その疑問は『キャラ丸くんとドク丸くん』の四コマ漫画にも描かれている。「世間に対して、ストレスが溜まった時に描くんですよ」と笑って話す。
「子どもの頃に持っていた純粋な正義感や視点も、大人になるとだんだん変わっていきます。生まれた時はみんなに喜ばれた可愛い子も、なぜヤクザになってしまうのか、なぜ悪徳な政治家になってしまうのか…。そんなことを考えるんです。子どもの心で、大人社会を見る——じゃないですが、そんなことを四コマ漫画で表現している。だから大人に対して、非常に皮肉っぽい内容になっていますね(笑)」
作品を制作したり、アニメ・漫画業界の資本構造的な課題を考えたりする中で、本多氏は「お金」中心の社会の歪みに気づいたという。本多氏によって過去に描かれた四コマ漫画からも、その気づきが伝わってくる。
「お金自体が悪いわけじゃない。お金は本来、物々交換の仲立ちをするものですから。ですが、お金を多く持った人が社会的影響力を持ちすぎてしまい、『競争して他人を蹴落としてでもお金持ちになることがいいことだ!』という価値観はどうかなと思うんです」
お金を持った人は本や講演などでその手法を披露することもある。しかし、それは必ずしも万人にとってよいものではないこともある。本多氏が語るように、誰かを蹴落とす方法だとすれば、一方には善だが、もう一方には悪になる。お金はあくまで手段でしかない。それ以外でも社会に価値を届ける手法は存在する。
「大きなお金を持つことではない方法で、いいことをしている人はたくさんいます。たとえば先日アフガニスタンで銃撃され亡くなった中村哲さんなど、人道支援活動やいわゆる“社会貢献”の活動をしている人。そんな人々が、もっと取り上げられ、目を向けられていくべきだと思うんです」
社会に疑問を持ち、アニメを通して、問いかけを続けてきた本多氏。最後に「アニメが持つ役割」についてこう語った。
「今うちには中国人スタッフがいて、彼女は『ドラえもん』を見て育ち、アニメの仕事を通して日本と中国の『架け橋』になりたいと一生懸命頑張っている。アニメは、まさに人と人、国と国を仲立ちする架け橋の役割を担えると考えています。
異なる価値観のもと育った人同士でも、同じアニメを小さい頃から見ていたり、同じ遊びをしていたりすることで、共通の体験を持ち価値観を分かち合うことにもつながる。共通の体験をした子どもが大人になれば、お互いの国同士の仲を何らか良い関係へ導くかもしれない。少し大げさかも知れませんが、アニメ制作を通じて、“世界”に少しでも貢献していきたいと思います」
Text: Yuka Sato / Photograph: Meg Suko